梅野記念絵画館・ふれあい館
東御市梅野記念絵画館・ふれあい館
〒389-0406 長野県東御市八重原935-1芸術むら公園
TEL:0268-61-6161 FAX:0268-61-6162

ホーム >> イベント・展覧会 >> 村上肥出夫展

村上肥出夫展
九段 1962年
  • 自画像 1961年
  • 自画像 1961年
  • 高速道路下 1961年
  • 銀座の古い洋館 1962年
  • 有楽町 1962年
  • 夜空(ニューヨーク) 1962年

This content comes from a hidden element on this page.

The inline option preserves bound JavaScript events and changes, and it puts the content back where it came from when it is closed.

Click me, it will be preserved!

If you try to open a new ColorBox while it is already open, it will update itself with the new content.

Updating Content Example:
Click here to load new content

展覧会概要

村上肥出夫展
主催者 長野県東御市、東御市梅野記念絵画館
会期 2016年 4月10日(日) 〜 5月29日(日)
会場 東御市梅野記念絵画館
〒389-0406 東御市八重原935-1
TEL 0268-61-6161
FAX 0268-61-6162
料金 800円(高校生以上)
15名様以上団体700円
障がい者割引、学校利用減免、
減額制度もあります。
開館 午前9時〜午後5時
※午後4時30分までにご入館ください。
休館 毎週月曜日(祝日の場合その翌日)
担当学芸員 佐藤雅子

お知らせ

村上 肥出夫展・中村 忠二展 バスツアー

詳しくはお問い合わせください。

※ 2016年 4月10日(日)
※ 池袋→梅野記念絵画館

※ お問い合わせ:0268-61-6161

関連イベント

村上 肥出夫 を語る

2016年 4月10日(日) 13:30 〜
画家・安住孝史氏、兜屋画廊・小澤禮子氏、池田章氏による鼎談。

展覧会パンフレットダウンロード

図録通信販売

無垢であること
東御市梅野記念絵画館 館長 佐藤 修


「痛々しいほど鮮やかな絵」・・・・・・作家・北方謙三氏が村上肥出夫の作品在評しての言葉です。
荒川の鉄橋の下に寝泊りする放浪生活をしていた画家は、銀座で絵を売っているところを見出され下積み生活から逃れ出ます。堰を切ったように描き出した激しいタッチの厚塗りの油彩画によって、村上肥出夫は一躍時代の寵児となっていきます。
しかし1979年、突然中央画壇に背を向け、岐阜県下呂温泉近くの山中にアトリエを構えます。このまま都会にいては駄目になる、絵を描くことに純粋でありたいと決意したのでしょうか。一方で、矛盾した話ですが、岐阜の山中に居ながらも、もう一度画壇の脚光を浴びたいという望みも捨てたわけではなかったようです。
1997年、画家が暮していた岐阜の住居兼アトリエが全焼しました。絵具もキャンバスも、2万冊にも及んだという蔵書も灰燼に帰したのです。
画家は燃え盛る炎と黒煙のなかに何を見たのでしょうか。失ったものはモノだけではなかったようです。アトリエを焼き尽くした炎は画家のなかの意欲と気力をも萎えしぼませてしまったのです。
1976年、岐阜の田舎に引っ込む前に、村上肥出夫はこんな文章を書き残しています。

僕は、僕の橋の下の生活を生涯大切にしたいと思います。それは僕の絵画生活における精神の中継基地として、東京での放浪時代、さらに少年時代の夢へとつながり、なによりも自分をかえりみる場所、そして現在と将来を照らし合わせる役目をしてくれる場所だからです。あの橋の下で、僕は芸術家として生き、自己の使命をつらぬこうと固く心に誓ったのでした。それは、単に画家として有名になるというようなことではなく、ただひとりの人に対してでも生きる勇気を与え得るような人聞になるというととでした。《中略》絵は人間への形見であり、むしろ自分の生き方にこそ意義があるのだと思っていました。(「パリの舗道で」村上肥出夫1976年彌生書房)

画家は「橋の下」から逃れ出たのではありませんでした。むしろ逆です。画壇の売れっ子になり、時代の寵児としてもてはやされているうち、画家は、生涯大切にしたいと願った“あの頃の生活"に戻ろうとしたのではないでしょうか。荒川の橋の下の代わりが岐阜山中の住まいだったのだと思います。
火災は画家にとって余りに残酷な仕打ちでした。焼土の上に、もう一度「絵画生活における精神の中継基地」を築こうにも、最早その気力が湧いてくることはありませんでした。
今、画家・村上肥出夫の『痛々しいほど鮮やかな絵』の前に立ち彼の境涯に思いをいたすとき、画家が自己の使命を果たさんと蘇生する奇跡を夢想するのです。