初代館長 梅野 隆について
当館は、平成10年に梅野隆のコレクション430点の寄贈を受け、開館しました。
梅野隆の父梅野満雄は、明治時代の天才画家青木繁の親友であり、当時未だ正当に評価されていない青木を生前も没後も支えました。そのような父の影響を受けた梅野隆は、「特異な業績を上げながら忘却されている作家や、不遇な生涯を終えた作家で、現在は埋もれているが忘れ去られるには惜しい作家を顕彰する」という方針のもとに、日本近代美術に対象を絞って生涯を通じて収集をしました。
その仕事は大きく3期に分けられます。まず、会社勤めをしながら美術品収集に明け暮れた昭和28(1953)年頃から昭和60(1985)年までの約32年間、そして東京京橋に「美術研究藝林」を開設し、埋もれた作家の顕彰を行った平成9(1997)年までの約13年間、さらに平成10年(1998)年4月に開館した北御牧村立梅野記念絵画館(平成16年に合併により東御市となる)の館長に就任し、平成22(2010)年3月に退任するまでの約12年間です。そして翌年の平成23(2011)年7月に死去しました。
梅野隆は、類まれな審美眼を持っており、多くの未だ正当な評価が与えられていない作家を取り上げましたが、それは結果として日本近代美術の見落とされていた隙間を埋めることにつながっていきました。